こんにちは、サンプルりか子です。
今回は、「常識」に夢中になってしまった人のお話をご紹介します。
私の昔話です。
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前回、私達は「すべき論」の海の中に浸っているのではないか、と書きました。
思い返すと、これまで私が悩んできた出来事の大半が「すべき論」、
「一般通念」、いわゆる「常識」との闘いだったと思います。
または、それに囚われている自分と、自分の本心との葛藤でしょうか。
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小学校低学年くらいまでの私は、「これは自分の道理に合っていない」と判断すると、
それに異議申し立てしていました。
例えば、小学校1年生の時のプールの時間。
水に慣れよう!という計らいで、泳ぐ前に「お地蔵さん」という
準備運動的なものがありました。
浅いプールに入り、一人づつ順番に真ん中に立ち、それをみんなで取り囲みます。
そして真ん中の子に向かって四方八方から水をかけるのです。
私はそれが大嫌いでした。
水も痛いし、息もできないし、ゴーグルもないから目も開けられない。
怖いのです。
これはイジメではないか?と見まごう苦痛な行為。
だからプールから出て帰ろうと思いました。
すると先生に止められたので、「帰る」と言いました。
引き止める先生に構わず更衣室に行って…
というところまではちゃんと覚えています。
プールから小学校まではバスで帰らないといけないので、
私はプールサイドからぼーっと水泳の時間が終わるのを
着替えて待っていたように記憶しています。
後に私の母親が呼び出され、一連のことを先生から聞いたようです。
母は謝りつつも、いいんじゃない?と思ってたと苦笑いしながら言っていました。
先生は母との会話の中で、「こんな生徒はじめて」と言われたらしいです。
でも母よ、私は中学・高校でも同じことを先生に言われることになるのです…。
高校なんて、他校の先生に会ったときに、
「やっぱ変な子やな」と笑われました。
やっぱってなんや…挨拶しただけやん…。
水泳の授業。
本当にあれは辛かったです。
息ができず、水も痛くて、ただ苦痛に耐えるだけの時間だったのですから。
裏腹に、わがままで自己中な児童だと思われたでしょうね。
こんな私を見て、きっと多くの人がそう思うでしょう。
私もちゃんと、何故嫌なのかを先生に伝えられていれば
先生も理解してくれたかも知れません。
ちなみに私は水泳が大嫌いで、
小2の水泳記録会では壁を蹴って浮いただけの2mという記録でした。
その翌年に夏休みの補講に選ばれてしまい、特訓の成果200m泳げるようになりました。
教えてくれた先生には感謝しかありません。
前述したとおり、中学でも「こんな生徒はじめて」と言わしめてしまいました。
私は「先生」というのがやたら偉そうで、
道理にあっていないことでもそれが唯一解のように
生徒に押し付ける、(ひどい言い方ですが…)
そういう認識を4,5歳くらいのときには感じており、
好きにもならなかったし、まったく懐くことがなかったし、
自分が納得する話だけを聞いていました。
扱いづらいお子だったと思います。すみません…。
他の大人に対してもそうです。
(今では「先生」という職業の理解を深め、尊敬もしています。)
ただ口数が少なく、おかしいと思っても何も言わない。
自分の頭の中だけで完結しているのです。
だから周りからは大人しい子だと思われていました。
私にもその自覚があり、どこかで「私は大人しい子だ」「大人しいのが良いんだ」と
思っていた部分があります。
水泳の授業だけでなく、家でも反発すると怒られたり家を追い出されたりするから
抗っちゃいけないんだ、という方へ学習していったのもあると思います。
だから段々と、ハッキリと意見をもつ自分、場合によっては相手に否定的な自分、
暴力的な自分を隠すようになりました。
絶対に見つかってはいけない。
こんな醜い私。
それは恥ずべき行為なんだから。
私はおとなしい子なんだから。
無意識にそういう自分になろうとしていたと思います。
というかしていました。
小・中学生の時は、せっかく好きだと言ってくれた子に対して
「付き合えばやがて私の汚い部分がバレてしまう…怖い…」と瞬時に解析し、
向き合うことができませんでした。
ちゃんと説明したりせず逃げてばかりで、嫌なやつだったと思います。
あの頃は仲のいい子もいたものの、
本当は劣等感や自己嫌悪の塊で、毎日消えたかったです。
話がだいぶ逸れてしまいましたが、
自己中で生意気で、それを隠すために羊の皮
ーしかしその皮は分厚く重いので中の人は2時間くらいしかもたないー
を必死でかぶり、本当は脱ぎたいのにその気持さえも抑え込んで
抑え込んだことも次第に忘れ、爆発し、
どうして私は爆発してしまうのか?耐えられないのか?汚いのか?弱いのか?
ということでも悩み悶え苦しみ、
そういう学生生活を送っていた人間が、ついに社会に出ます。
22歳。
ワンレンの髪を垂らし、臙脂色のサテンシャツ(私的コンサバ)で
面接に行って働かせてもらった場所はまだ良かったでのですが、
(心の広い社長さんや社員さんたちでした。感謝いたします。)
その次の職場では、「常識がない」「家にマナー本あんの?」と聞かれました。
一体何をやらかしたんでしょう、記憶の彼方だ。
実は私、高校の部活の待ち時間に『キティーちゃんのマナーブック』を愛読していたのです。
変人だと言われる自分を調教するために、必死で社会常識やマナーを身に着けようと、
趣味と呼べるくらいの勢いで冠婚葬祭だのメールの書き方だの、読みまくってました。
高校生や大学生で必要なくても、知識として知ってるだけで落ち着くのです。
自分が常識人だと思えるのです。
だから言ってやりました。
「はい、もちろん持ってますよ。
高校の時には『キティーちゃんのマナーブック』をバイブルにしていましたし、
現在も種類別にマナー本を5冊は家に常備してあります」
そう心のなかで言った後、私は一言、
「はい」
と答え、先輩の話を無表情で聞いていました。
私は何を言われても無表情&無言で相手の話を聞いていました。
今思うと、一重の三白眼も相まって、相手は不気味だったでしょうねってうっせぇわ。
…それは置いといて、次の職場でも「りか子は宇宙人」と言われたり、
職場の人とうまく行かなくて退職したりを繰り返しました。
昔から神経質だったり友人にも「強迫症ちゃう?」と言われたり、
もしかしたら私は名前がついている「病」の人間なのかも知れず
その影響もあるとは思いますが、
ずっと「常識」と言われるものを人一倍気にして生きてきました。
しかし、見事にぜんぶ空回り(笑)。
サンプルはアラサー、三十路を迎え、ようやく「理解」したのです。
私、ここまで来てたんや。
ずっと目指し続けてた常識人にかなり近づけてる。
だから苦しかったんや。
私は決めました。
「苦しいです」と言おうと。
まず自分に、「苦しいです」って言おう。
水かけられて、平気な顔するのやめよう。
嫌なのにみんなと一緒に水かけ合うの、やめよう。
私はそういうことをしたいんじゃない。
そこは私のいるべき場所じゃない。
私は決めました。
続きます。
では、また。
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