こんにちは、サンプルりか子です。
私が上京したと知っている人と話すと
必ずと言っていいほどこう聞かれます。
「もう東京慣れた?」
面倒くさい時は「慣れた」と答えるのですが、
本当は未だに慣れません。
先日ヨーロッパから日本に来て働いている友人に会った際も聞かれ、
「慣れてないよ」と言うと慈悲深い目で見られました。
いや、そうじゃない。
慣れていないというのはネガティブなことではない!
と慌てて説明しました。
同じ毎日の繰り返しに安心したり幸せを見出す人もいますが、
私はそうなると耐えられなくなるタイプの人間です。
未だに東京に慣れないというのは、未だに新鮮だということです。
学生時代の友人にも、「サンプルは東京に染まらなそう」
と言われましたが、正しくは「染まれない」のだと思います。
上京前まで6年ほどいた地方は方言の強い地域でしたが、
まったく方言がうつることはありませんでした。
意識したら喋れますが。
大阪にいたときも大阪に染まっていたかというとよくわかりません。
方言でいうと大阪弁が染み付いたわけでもなく、
ただ事情があって「標準関西弁」を喋っていただけです。
喋れと言われると大阪弁でも京弁でも滋賀弁でも喋れます。
(友人の真似をするだけ)
生まれ育った地元に居たときも、
実は、ずっとどこか落ち着かない気持ちでした。
私はここで生まれて育ち、18歳まで他の地域に引っ越ししたこともなかったのに、
「ここはあなたの居場所ですか?」
と聞かれると、
胸を張って自信満々に心の底から
「はい、そうです!」
とは言えない自分がいたのです。
それで、すごく寂しくて苦しかったのです。
大阪にいた時は回りの友人に恵まれたので
異分子感というかよそ者感は特に感じませんでしたが。
(大学のイメージが助けてくれたのもあると思う笑)
今は何故自分がそういう疎外感のようなものを
ひとりでに抱いていたか一応分析し、
そう思わないでいい根拠を文章化して自分に言い聞かせて
脳髄に染み込ませているので多少は改善されています。
ただ、土地だけではなくて、私はコミュニティでも感じてしまいます。
例えば職場。
私はここにいていい人間なのか?と常に問うているわけではないのですが、
常にその思考がポッケに入っている感じです。
なんなら携帯に便利なように形を変えたりなんかして。
ことばでもたまに浮かんできますが(すぐ大丈夫だと言い聞かせている)、
「孤独感」という感覚で常に居座っています。
東京の前職でもそうでした。
これまで以上に「ここにいていいのかな」感が強かったです。
2年ちょっといた職場にも慣れていなかったということでしょうか。
会社の業種も、雰囲気も、人も、仕事の事も理解していた・わかっていたのに、
自分の「名前」が宙に浮いているような、
ちゃんと会社の氏名欄におさまっていない、
落ち着かない感覚を常に抱いていました。
もちろん会社のいち員と(意識)して仕事したり思考したりしていたのですが、
「ここにいてもいいのかな」が感覚として常にあったので、
どこか遠慮してしまう自分もいました。
一種のアイデンティティのゆらぎなのでしょうか。
あなた誰?私も誰?
私は一人の時間が絶対欲しい人間なのですが、
相反して猛烈に寂しくなることがあります。
これは以前書いたホームシックなどとは違って、
この世で自分は一人だけなのではないかという
強迫観念にも似た猛烈な孤独感です。
くるくる回るキャスターが付いた椅子に座っていると
何の前触れもなくものすごい速さで後ろの暗い世界に引っ張られる、
そんなイメージが昔から脳内にあります。
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突然ですが、
みなさんは、家族(や身近な人)が家族とは見られなくなったことはありますか?
例えば、あなたのお母さんが別人に見えて(ただの女性に見えて、ではなく)
「え、誰この人?」となる。
本当に誰であるかわからない状態です。
一瞬の記憶喪失です。
私は高校生の終わりくらいまで兄弟に対してありました。
年に1,2回、目の前の自身兄弟が誰なのかわからなくなるのです。
もうその時はパニックですよね。
毎回懲りずにパニックです。
予告もなしに突然誰かわからなくなるので、
「え?!誰っ?!誰っ?!」
という感じでじーっと見つめて、するとだんだんわかってきて(思い出して?)、
「○○(兄弟の名前)やんな?!」
と何度も確認し、ときに体を触りまくって存在を確かめる、
というのがありました。
兄弟は「ああ、またきかた」という体で、
黙って私が落ち着くのを待ってくれていました。
現在はまったくありません。
(それに近い感覚はないこともないですが)
ただ、昔から未だにたまにあるのは、
自分自身についてもよそよそしく感じることがある感覚です。
おおよそ30年の付き合いなのでそういう「私」に対して
「あなた」と呼んでいます。
たまに「あなた」がおかしくなってニヤついてる「私」がいます。
こういうと意味不明ですね。
わかっています。
なので今まで誰にも言ってきませんでした。
考え事していたと思ったら、
「この人一生懸命考え事してる」
とどこかで己を別の己(?)が観察して何事か感じているのです。
それが人にも向くことがあります。
「ああ、この人ら”人間”なのか」
という具合。
意味不明ですね、わかっています笑。
そして「人間なのか」のあとには
「一生懸命生きてるね。がんばれがんばれ」
みたいにどっから物いうてんのやと言わんばかりの思いが
にじみ出てくるのです。
そう思っている自分(「私」or「あなた」)に対して
またおかしくなって笑ってしまうのです。
だから、なにもないのに笑っている人を見ると
「気持ちわかるで」
と勝手な親近感。(ちゃうか)
そして、何でも良いのですが例えば誰かと話していたり、
一人で買い物にでかけたときのことを思い出す時、
なぜか自分がいるんです。
記憶の中で、知人と自分が話している。
自分が横顔でイメージされ、買い物をしている。
まるで誰かが撮った映像を見ているよう。
以前は頻繁にあって、
「何故私がいる?記憶の捏造?」
と思い、でっちあげと思われたら嫌なので誰にも話せませんでした。
また、自分の身体の大きさが変わったような違和感を感じることもありました。
実家にいる時は母親に
「私ちょっと大きくなってない?」
と本気で尋ねたこともありました。
いつも変わってないと言われて、たしかに大きく感じるのに、複雑な心境でした。
色々調べていくうちに「離人感(症)」というのを知りました。
(5年くらい前ですが。って最近か)
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「離人感」がおこるのは、心理的負担となる出来事などが原因とされているようです。
衝撃的な出来事、事故、災害などの体験や目撃などの極度のストレスが引き金となって突発的に発症する、幼少期の虐待や、あまりにも耐えがたい心理的葛藤から、相容れない情報や受け入れがたい感情を意識的な思考から切り離さざるをえなくなって発症する、など、
引用:東京都立 松沢病院「こころの病気のミニ事典」
そういったストレスに脳が耐えきれずキャパオーバーになった時「解離」がおこり、
その症状の一つに「離人感」があるそうです。
強い恐怖を感じたり狂乱したりすることを避けるために離人症が形成されるという説があります。
引用:Medical Note「離人症性障害」
私は医師の診断を受けていないので、
私の一連の体験は「離人感かもしれない」という理解でとどめています。
この私の「離人感」の具体的な出来事と、
冒頭の「東京に慣れない」とか「自分の帰属意識」とか、
「自分の存在に対する是認の不安感」といったことは
話が別といえば別なのかもしれません。
ただ、私は「○○症」といった病と、
その人の傾向とか頻出体験とか性質的なものの線引がよくわからず、
(症状が連続しているだとか多いとかで診断されるのだと思いますが)
だったら医師の診断を受けてはっきりさせたらいいのでは?と思われるかも知れません。
しかし私はそれを必要としていません。
不安感がないので。
私は自分が体験した諸々の感覚が「離人感」と名付けられた多数の人が
経験している症状だということが知れて安心しました。
知らずにいたら、やっぱり私はおかしな人間だったんだと被害妄想に走ったり、
一種の心霊体験として祭り上げていたかも知れません。
本当は、単純にメンタルクリニック的な場所がすきではないのが大きいですが。
なんか、先生という人に話しているうちに病名をつけてもらいにいこうとしそうで。
「この体験どう?」みたいな。
メンタルに関わる先生を信用していないからだと思います。
不快感があるのにクリニックに来て「異常なし」と言われるといよいよわからなくなる。
病院って何?先生って何?病って何よとなる。
それを安心させるためか義務なのか商売なのか、気休めに薬は処方されるという。
まぁ今は不快感や不安もなく、生活にも支障はないので行く必要はない。
というわけで、どうして今日はこんなことを書いたのか
自分でもよくわかりませんが、
おそらく夏至期間の満月だからだろうということにします。
感覚も敏感だしたまにリアリティもなくなるわ常識人にもなれないわたんこぶできるわ、
本当に生きづらい半生でした。
生まれ変わるだけが救いではないとわかったので、アラサーから楽しく生きます笑。
では、また。
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